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すろーすblog

遅くなりましたが、前回12月19日の家族のためのがんカフェレポートです。





今回の家族カフェにはおなじみさんが集まりました。

はじめに、お互いの近況や今日の気分を一通り話し場を温めました。

カフェの2日前に行われたすろーす読書会にも参加された方や、読書会には参加していないけれど読書会で読み進めた本(「急に具合が悪くなる」宮野真生子、磯野真穂 著)を読んだことがある方もおられたため、自然とその本の話し(ミニ読書会)になりました。


その続きから、自分の気持ちを素直に話せる場はどんなところ?と話題が出ると、あまり相手を知らない方が自分のことを話せたり、先入観なしに相手の話も聴けるかも。と話される方がいる一方、ある程度自分を受け入れてくれる場でないと話しにくいこともあるかな。との考えも。また、自分(が今何を思っている・考えているか)を知るために相手に話したり聴いたりすることがあるかな。(特に場というより、自分を知るために色々な人の考えを聴く。)


他の話題では、「相手に理解して(知って)もらいたい。」って色々なところで聞くけど、理解して(知って)もらいたいことをきちんと相手に伝えられているのかなと思うことがある。なので、相手に知ってもらいたいことをきちんと伝えないと伝わらないかなと意識しています。と話が出ると、同じような経験をしていても、感じ方や考え方は人それぞれだからその人の感じているものを理解することは難しい。あと、言葉の裏に隠れている意味を探るのもとても難しいし、探って良いのかどうなのか分からないこともある。ただ、似たような経験や話を聴いて思いを巡らせて知ろうとすることはできるよね。など、この日のカフェでは、<気持ちを知る・知ってもらう>ことについて色々な話が出てきたかなと思いました。



次回の<家族のためのがんカフェ>は、2月6日(火)です。詳細は、下記のページよりご確認ください。



(レポート:菱沼)

今年度初めての遺族のためのがんカフェを開催しました。 コロナ前に参加してくださったお久しぶりの方、いつもの方と合わせて5名で行いました。




はじめに、ここ最近の気分や、カフェで話したいことなど自由な話しから始まり、お久しぶりの方からは、「今日は、<元気になりました。>そして、<あの時はありがとう>を伝えに来ました。」と元気そうな声で話してくれました。 大切な家族を亡くして間もないあの頃、感情がまとまらず、落ち込み塞ぎ込んでいた時に、すろーすの存在を知り、セミナーやカフェに参加してくださったようで、カフェを通してまとまらない感情を辿々しくも言葉に変換していくことで、自分の感情を少しずつ見つめることができたようです。 また、すろーすのカフェでは、「私はこう思う。」「私もこういう経験をして、その時こんな気持ちでした。」など、個人が経験し感じた話を聞いて、客観的になれ、人それぞれ違うことがわかり、<今の気持ちはこれでいいんだ。>と思うことができたとも話してくれました。

話が進んでいく中で参加者が共感し話が深まっていく場面がいくつかありました。

まず、周りの言葉や、目が気になり(喪中に出かけることを良く思われていないように感じる。喪中なのだからこうしなくてはいけない。などの思い込みや決め付けが)自分の気持ちを抑えて辛くなっていたという方もおられました。しかし、コロナ禍になり、親戚や近所付き合いが減ったことで周りの目も気にならなくなり、今まで自分を抑えていた気持ちを解放し楽になれた。そうしたら、だんだんと感情もコントロールできるようになり、大切な人を亡くす前の感情が取り戻せて来ました。との話も出ました。 コロナによってマイナスの側面もあったけれど、全てがマイナスだったわけでも無い話が聞けました。 私(菱沼)もコロナ禍に入って間もない頃、義父を亡くしました。町内会長なども務めて来た義父だったので、コロナ以前なら弔問客も多かったであろうことは想像できましたが、住みなれた家で、家族揃ってゆったりと見送ることができました。義母も「お父さんとゆっくりできて良かった。」と話していたし、他の家族も周りに気にせず思い思いにお別れができたように思います。

他にも、自分の(喪失)話を周りにしてその話に対して、「分かる、分かるよ。辛いよね。」などの言葉が、心に響かなかったり、分かってもらえない感覚があったり、虚しさを感じたりという話が出ました。大切な人(家族や親戚、近しい人)を亡くしたという同じような経験者同士から言われても、そのような感情があったと話しに出ました。 この話しに対して、同じ家族を亡くしても、亡くした年齡や関係性などによっても全然違うだろうし、そもそも全く同じ感情をもつ人はいないし、気持ちの整理がつかない時は視野も狭くなり自分の悲しみしか考えられないなどといったことが話に出て来ました。 しかし、ほとんどの参加者が、時間が経ち感情の波が落ち着き振り返ると、心に響かなかったり、分かってもらえない感覚は「それはそうだろうな。」と思えたようです。 自分自身の感情がどう感じているかが見えることで、少し整理ができたり落ち着いたりできるのかなと思いました。 感情が不安定な時期は、周りからの言葉や振る舞いが気になってしまうけれど、 周りの言葉に引っ掛かりすぎず感情の波を穏やかにできるようになれたらいいのだろうね。難しいけれどね。と参加者がうなずいたところで、お時間が来ました。


次回の<遺族のためのがんカフェ>は、9月24日(日)9:30〜11:30 ゆうあいセンターで行います。

参加をご希望の方は、イベントページよりご確認のうえお申し込みください。


(レポート:菱沼)



今年度初の家族のためのがんカフェは、おなじみのメンバーとなりました。久しぶりに対面でお会いできた方もいてとても嬉しかったです。お互いの近況や最近の世の中のことなどを話しながら場があたたまったところで、がんにまつわるあれこれ話題に進みました。



まず、健診などで再検査となったとき、結果が出るまでの期間について、「宙ぶらりな感じである」と表現された家族もいたり、不安が大きくなって心ここに在らずになったりと、この時期、余計な不安が次々湧いてきたり、良くないことを考えてしまうなど、心の揺れが大きくなったことを改めて感じました。

他にも、遠方に住んでいる(がんを患っている)人に会いに行こうと思うのはどんな場合だろうか。といった話も出ました。病状によって会いにいくのか?関係性にもよるのか?相手はどう(会いたいと)思っているのだろうか?(会いに行かなかったことに自分が)後悔しないためか?などの考えが出ました。

さらに、<がん>と聞くと、まだ怖い病気のイメージがあるという話しも出ました。なぜ、がんは怖い病気なのか探っていくと、がん保険ってコトバやがんを題材にしたドラマなど、つらそうな治療や、再発への不安などがイメージしやすいこと。実際に家族のがん治療や、がんに伴う不安などの経験から、怖いイメージが取り去れないでいるのではないかといった話も出ました。



少し前に、「がんの治療以上に、がんの「イメージ」が患者さんを苦しめている。」という腫瘍内科の医師が書いた記事を目にしました。

がんという病気、治療、緩和ケアなどに対する過剰なイメージを持つと不安や恐怖も大きくなるそうです。このイメージから抜け出せれば、気持ちはだいぶ楽になるのではないか。そのために、家族や友人、医療者など話せる環境で、気持ちが楽になる考え方を一緒に探ってみることの勧めが書かれていました。

家族のためのがんカフェでも、話をしたり、聞いたり、一緒に考えたりすることで、不安や悩みを少し和らげるヒントが得られるかも知れません。家族のためのがんカフェがそんな時間になればいいなと思います。

次回の家族のためのがんカフェは8月を予定しています。詳細は決まり次第お知らせいたします。

(レポート:菱沼)



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