今年度初めての遺族のためのがんカフェを開催しました。 コロナ前に参加してくださったお久しぶりの方、いつもの方と合わせて5名で行いました。
はじめに、ここ最近の気分や、カフェで話したいことなど自由な話しから始まり、お久しぶりの方からは、「今日は、<元気になりました。>そして、<あの時はありがとう>を伝えに来ました。」と元気そうな声で話してくれました。 大切な家族を亡くして間もないあの頃、感情がまとまらず、落ち込み塞ぎ込んでいた時に、すろーすの存在を知り、セミナーやカフェに参加してくださったようで、カフェを通してまとまらない感情を辿々しくも言葉に変換していくことで、自分の感情を少しずつ見つめることができたようです。 また、すろーすのカフェでは、「私はこう思う。」「私もこういう経験をして、その時こんな気持ちでした。」など、個人が経験し感じた話を聞いて、客観的になれ、人それぞれ違うことがわかり、<今の気持ちはこれでいいんだ。>と思うことができたとも話してくれました。
話が進んでいく中で参加者が共感し話が深まっていく場面がいくつかありました。
まず、周りの言葉や、目が気になり(喪中に出かけることを良く思われていないように感じる。喪中なのだからこうしなくてはいけない。などの思い込みや決め付けが)自分の気持ちを抑えて辛くなっていたという方もおられました。しかし、コロナ禍になり、親戚や近所付き合いが減ったことで周りの目も気にならなくなり、今まで自分を抑えていた気持ちを解放し楽になれた。そうしたら、だんだんと感情もコントロールできるようになり、大切な人を亡くす前の感情が取り戻せて来ました。との話も出ました。 コロナによってマイナスの側面もあったけれど、全てがマイナスだったわけでも無い話が聞けました。 私(菱沼)もコロナ禍に入って間もない頃、義父を亡くしました。町内会長なども務めて来た義父だったので、コロナ以前なら弔問客も多かったであろうことは想像できましたが、住みなれた家で、家族揃ってゆったりと見送ることができました。義母も「お父さんとゆっくりできて良かった。」と話していたし、他の家族も周りに気にせず思い思いにお別れができたように思います。
他にも、自分の(喪失)話を周りにしてその話に対して、「分かる、分かるよ。辛いよね。」などの言葉が、心に響かなかったり、分かってもらえない感覚があったり、虚しさを感じたりという話が出ました。大切な人(家族や親戚、近しい人)を亡くしたという同じような経験者同士から言われても、そのような感情があったと話しに出ました。
この話しに対して、同じ家族を亡くしても、亡くした年齡や関係性などによっても全然違うだろうし、そもそも全く同じ感情をもつ人はいないし、気持ちの整理がつかない時は視野も狭くなり自分の悲しみしか考えられないなどといったことが話に出て来ました。
しかし、ほとんどの参加者が、時間が経ち感情の波が落ち着き振り返ると、心に響かなかったり、分かってもらえない感覚は「それはそうだろうな。」と思えたようです。
自分自身の感情がどう感じているかが見えることで、少し整理ができたり落ち着いたりできるのかなと思いました。
感情が不安定な時期は、周りからの言葉や振る舞いが気になってしまうけれど、
周りの言葉に引っ掛かりすぎず感情の波を穏やかにできるようになれたらいいのだろうね。難しいけれどね。と参加者がうなずいたところで、お時間が来ました。
次回の<遺族のためのがんカフェ>は、9月24日(日)9:30〜11:30 ゆうあいセンターで行います。
参加をご希望の方は、イベントページよりご確認のうえお申し込みください。
(レポート:菱沼)
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